アシュタンガヨガの8支則

アシュタンガヨガの八支則 実は瞑想への自然な方法なんです

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ここで言うアシュタンガヨガとは、プライマリーやレッドクラスなどを行うアシュタンガヨガのことではありません。

パタンジャリというヨガの聖者が2500年くらい前に書いた「ヨーガ・スートラ」の中で説明しているヨガの段階的な進歩についてのことです。

パタンジャリが生きていたのは、ブッダが生きていた時代とほぼ同じで、ブッダの「八正道」と共通する部分もたくさんあります。

 

アシュタンガヨガの八支則は、実は効果的な瞑想へのガイドだ

 

深い心の平安や瞑想での気づきは、いきなり、「あっ! これだ!!」ってなりませんね。

瞑想が続かない人は、いきなり一番上を目指そうとするからかもしれません。

なんでもそうですが、ヨガも瞑想も、ひとつずつ、少しずつ進んでいくものです。

アシュタンガヨガの八支則はその具体的な方法を示しています。

日常の注意することから、アサナ(ポーズ)、プラーナヤーマ(呼吸・エネルギーの浄化)、感覚、感情をコントロールする(ヴィパッサナ・マインドフルネス)、集中とその持続、そして平安を獲得するための道を、ステップを通して進んでいこうとするものです。

では見ていきます。

 

その1 ヤマ

 

日本語では「禁戒」とか「自制」と訳されます。

社会や他者に対してやってはいけないという教えで、道徳的な意味合いが強いです。

当たり前のようなものばかりですが、実は深いんです。

その教えは5つからなります。

アヒムサー 「非暴力」 危害を与えない、逆に愛を与えるための準備の生き方とも言えます。

サティヤ 「嘘をつかない」 言葉は言霊といってエネルギーです。 真実だけを語り、他者も自分も偽らない生き方につながる教え。

アスティーヤ 「盗まない」 他者のものを盗まないというのみじゃなくて、自然を壊さない、知足(今あるものに満足して感謝する)の学びにも通じます。

ブラフマチャリヤ 「淫さない」 性的なエネルギーを浪費しないで節度を保つ。当たり前のことですが、ヨガではシャクティと言われる性的なエネルギーを聖的なものにして、7番目のチャクラに貯蔵し、それを聖なる目的のために使うことは大切なこととされています。

アパリグラハ 「貯えない」 必要以上に物を欲しがらない、今あるものにも執着しない。幸せは物質的なものにはなく、心の奥に、すべての人が完ぺきな形ですでに持っているからです。物に執着すると、それを忘れがちになってしまいます。

 

 

その2 ニヤマ

 

「勧戒」と訳されます。

ヤマが社会的にしてはいけないことだとしたら、ニヤマは個人の規律としてするべきことで、積極的な教えです。

5つからなります。

サウチャ 「清浄」 体と心を浄化しなさいってことです。ヨガでは体は人生を運ぶための乗り物です。心はそれをコントロールする道具です。心身の浄化はヨガの最終的な目的「合一」にとても大切です。

サントーシャ 「満足」 足るを知る。反対は不満、不足。満足の状態のときに、平安、心の集中ができるからです。

タパス 「熱心」 熱意、情熱、努力などに関すること。体、心、言葉の3つの原則があります。

スワディヤーヤ 「霊性の探求」 単なる知識を知るだけではなく、智識として深く学ぶこと。霊的な書物を読むことも含まれます。

イーシュワラ・プランダーナ 「献身」 イーシュワラとは神のこと、プランダーナは献身です。カルマヨガとして奉仕すること、バクティヨガとして大きなものに委ねた生き方をすることで人は進化していきます。

 

 

その3 アサナ

 

これがいわゆるポーズのことですが、アサナとはサンスクリット語の「アース」からきていて、座るという意味で、本来のヨガは瞑想のためのものでした。

ヨガのアサナは、体を調節して強化することで、心の平安をもたらし、生活にもより良い影響を与えるものとして重要です。

静かな動きで一定の状態を保つことで、動く瞑想状態をつくることがアサナの目的です。

 

 

その4 プラーナヤーマ

 

呼吸法として知られていますが、呼吸を通して宇宙のエネルギーを取り込み、一体のなるためのものです。

プラーナとはエネルギーのこと、ヤーマとはコントロールです。

気功と通じるものがありますが、ヨガでは呼吸を通してエネルギーをチャージしたり、整えたり、愛の波動を宇宙に帰したりします。

 

 

その5 プラティヤハーラ

 

ここからが、瞑想に関するもので、最後のサマディのための最初のステップがプラティヤハーラです。

これは感覚の制御のことで、ブッダのヴィパッサナと共通しています。

まず、いつも外側に向かっている意識を内側に向けること。

その意識を深め、感覚を繊細に感じること。

アサナの時も同じですが、自分の感覚をちゃんと感じて、それをそのまま、あるがままに受け入れることで、外側のことにも、バランスの取れた心で冷静に対応できるようになります。

心の鍛錬でもあり、このあとのダラーナ、ディアーナ、サマディの準備でもあります。

 

 

その6 ダラーナ

 

ダラーナとディアーナとサマディは、正確には心のひとつの流れでこれを「サンヤマ」といいます。

どこからどこまでがダラーナで、ここからがディアーナだと区分けはできません。

なら、なぜ分けられているのか。

瞑想の時の心の動きを理解しやすくするためです。

 

ダラーナは集中です。

1点に集中することで心を落ち着かせていきます。

禅では数息観といって、呼吸を数えます。

ヴィパッサナでは感覚、心の気づきに集中します。

集中することで一点に向かう力は強くなります。

 

 

その7 ディヤーナ

 

「無心」とか「禅定」と日本語で訳されます。

ちなみに禅宗の禅は、この禅定からきています。

 

ディヤーナとはダラーナの集中を持続させることです。

ディヤーナは最高に安定した状態です。

ディアーナの状態は、体、心、呼吸、自我、感情、理性のすべてが瞑想の対象になっていて、それらを超越しています。

至福感に満たされていて、それ以外はない状態がディアーナです。

これは自然に訪れます。

なぜなら、その状態こそが本来の自分のほんとうの状態だからです。

そしてこれが、ヨガの状態です。

 

その8 サマディ

 

ヨガの最高の状態のことで、瞑想の目的はこのサマディにあります。

「三昧」と訳されます。

サマディの状態は、経験したものじゃないとサマディのことは語れませんので、その説明しか私はできません。

 

 

段階を経て至るための道

 

見てきたように、パタンジャリのアシュタンガヨガは、日常の教えから、アサナ、プラーナ・ヤーマを経て、心の状態についての詳細な教えです。

いきなりサマディの達成はできませんから、段階を追って、少しずつ、一歩ずつ進んでいくための道を教えてくれています。

 

ヨガの道は一歩ずつ、焦らず、急がず、楽しみながら進んでいきましょう。

 

みんな、がんばれ^^

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