パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」のアシュタンガヨガの8つの段階が書かれています。
その1番目はヤマです。
禁戒ともいわれます。
これは、生きていく中で、いわゆるしてはいけないことについての、道徳的な教えです。
当たり前のようなことでもありますが、実は、ちょっと深いんですね。
ヤマは、5つの原則からなります。
アヒムサー 非暴力
サンスクリット語で「ア」は否定を、「ヒムサー」は殺す、暴力などを意味しています。
アヒムサーとは、単に暴力的なことをしないという消極的な意味だけではないんです。
人や他の命、自然を傷つけないという意味だけではなくて、さらに大きな接触的な意味、「愛」をも含んでいます。
ヨガでは、すべての命はホーリースピリット(ブラフマン)とつながっていて、それはひとつのものである教えています。
なので、他の命を殺したり、傷つけたりすることは、ホーリースピリットへの侮辱であり、自分を傷つけるのと同じだということです。
採食のひとつの理由はここにあります。
ヨギ(ヨガをする人)は、自分の命は他の命とつながっていると知っていますから、他社へ奉仕したり、与えたり、愛したりするんです。
こういうのを総称して「愛」と呼びます。
スワミ・シバナンダは「奉仕しなさい 愛しなさい 与えなさい 浄化しなさい 瞑想しなさい 目覚めなさい」と説きました。
アヒムサーを実行することで、アクローダ(怒り)とアブハヤ(恐怖)から解放されます。
逆に暴力は、怒りや恐れや不安から起こります。
これらと離れる生き方をすることで、マインドは浄化され、自分も他者も同じであるという愛の生き方は、他社によい影響を与えます。
それは共鳴し、宇宙に響きます。
サティア(真実)
真実とは、嘘をつかない、人を欺かないというのみではありません。
真実とは、正しい思いや行動などです。
正しい思考や行動は、愛と誠実からきます。
愛と誠実に基づいて、考え、話し、行動しようという教えです。
人が話すとき、4つの罪があるとされています。
淫らなことを言う、罵る、嘘をつく、中傷の4つです。
これらをコントロールしてはじめて、マインドのコントロールができるようになります。
正しい心で行動する人には、宇宙が助けてくれますから、必要な時、必要なものが、求めなくても与えられると、ヨガは断言しています。
アステーヤ(不窃盗)
「ア」は否定で、「ステーヤ」は盗みを意味します。
”盗むべからず”ということですが、これにも、もう少し深い意味があります。
ヨガでは、物質的なものは、必要な最低限のものだけあればいいと考えます。
そしてそれ以上を求めるのは、盗みと同じであるとします。
厳しいですね(笑)。
私たちは、お金や権力や名声や、あらゆる欲望を追いかけ、人によっては、そのために生涯を費やす人もいます。
ヨガの教えは、それらは全く必要のないものであり、それどころか、人を堕落させるものであると教えます。
ホーリースピリットのみを求めなさいと教えます。
ブラフマチャリヤ(節制)
これは、哲学的学習と自己節制として知られていますね。
これを過大に解釈して、禁欲生活を送る人もいますが、必ずしもそれが正しいとも言えません。
昔のヨギは結婚して、家族を持つ人も多くいました。
社会的な義務と道徳的な義務を負って生活していました。
もちろん出家したり、ヒマラヤで修行するヨギもいましたが。
ブラフマチャリヤは、強制的な禁欲生活の教えではありません。
それは、自然な状態での無理のない節制を説いているんです。
ただ、独身のほうが、また社会から離れた方が、霊的生活を過ごしやすいのは事実です。
それでも、在家で、程よい節制を心がけることをヨガは説いています。
すべての中にホーリースピリットの存在を感じることができるのが、ブラフマチャリヤで、その人は、心、言葉、行動が自然に節制されていきます。
そしてブラフマチャリヤを実行する人は、宇宙の法則に沿った生き方をするようになります。
霊性、精神的な進歩のために、性的なエネルギーを使えるようになっていきます。
ブラフマチャリヤの教えは、知恵の火(アグニ神)を灯します。
無理なストレスだらけの禁欲生活から、自然な愛の生活でいいと教えています。
アパリグラハ(貯えない)
「パリグラハ」は、貯めるという意味で、「ア」がついていますから、貯めないということですね。
だけど、”貯金をするな”っとことじゃないんですよ。
物をむさぼり集めるべきではない。
働かずに糧を求めるべきではない。
必要以外のものを集め、貯えるべきではない。
ということです。
不確かな将来のために貯金するのは、悪いことじゃありませんね。
それは老後のためや万が一のために必要なことです。
だけど、それ以上に求めたり、貯めたりしないというような教えです。
物質的なものを、必要以上に欲しがり、集め、貯えると、それに心が奪われます。
心は、自然に、もっともっとと求めるようになります。
必要なものだけあれば、十分であり、それで満足するように心を訓練することで、心が浄化されていきます。
必要なものだけあればいい。
アパリグラハを守れない人の心は、混乱と不安でいっぱいで、それに反応するだけでゆとりがなくなります。
アパリグラハを守る人は、必要なものは、必要な時、自然に与えられます。
してはいけない、がヤマではない
アシュタンガヨガのヤマの教えは、してはいけないという強制的なものではないんですね。
霊性の向上のために、そうするべきだという教えで、なぜそうするべきなのかと、説いています。
無理して、眉間にしわを寄せてヤマを実行する必要はありません。
少しずつ、5つの原則を守ろうとすれば、自然にそうした生き方ができるようになります。
一歩ずつ、ホーリースピリットに近づいていけばいいんです。
みんな、がんばれ^^