アシュタンガヨガの最後の8番目、サマディ。
日本語では「三昧」(ざんまい)と訳されます。
ニルヴァーナ、涅槃、悟り、神との合一という場合も。
ある賢者はいいました。
「沈黙によってのみ、それは表現できる」
段階を経て至る道
パタンジャリのアシュタンガヨガは、ヤマ ニヤマの生活
プラティヤハーラにより感覚の制御
ダラーナという集中
ディヤーナの集中の持続 静寂を経て、サマディというヨーガのゴールに達すると、パタンジャリは教えています。
ヨーガのゴール
サマディを経験したことのないものにサマディのことは語れません。
なので、ここではシャンカラチャリヤの詩を紹介します。
魂の唄
私は自我でも理性でもない
また心でも思考でもない
私の言葉を聞くこともできないし
私の言葉を言い表すこともできない
嗅いでもわからないし 見ることもできない
光の中にも嵐の中にも 天にも地にも
私を探すことはできないだろう
それは意識と喜びの化身が私であり
至上の幸福が私だからだ
私は名もないし 命もないし 空気も吸わない
いかなる成分によっても私を形作ることはできないし
肉体の形をした覆いが 私の巣でもないのだ
私は 言葉も 手も足も持たないし 進化もしない
意識と喜びが私であり 溶けて 至上の幸福になる
私は憎しみも情熱も投げ捨てたものである
また 妄想も貪欲も征服したものである
だから 自尊心も私を愛撫できないし
嫉妬も私を育むことはできないのだ
いかなる信仰も 過去の富も自由も欲望も超えて
意識と喜びが私であり 至上の幸福が私の装いである
善と悪 あるいは喜びと苦痛は 私の遺産ではない
聖なる本でも供物でも 祈りでも 巡礼者でもない
私は食物でも 食することでも 食する人でもない
意識と喜びの化身が私であり 至上の幸福が私である
私には 死を恐れる心も 私を裂く民族もない
私を子供と呼ぶ両親もいないし
私を結びつける 誕生の絆もない
私は弟子でも 師匠でもない
私には親族も 友人もいない
意識と喜びが私であり
至上の幸福という形で 湧き出るのが 私の目的なのだ